誤嚥性肺炎の行き着く先
酷暑や豪雨…明らかに昔の夏と昨今の夏の景色はことなるような…かつての「夕立」はどこへやら。今日もにわかに昼過ぎに空色が急変。落雷と共に豪雨…昼から豪雨なんて、東南アジアに旅行に来たような有様。
クリニックは健診のみならず、クーラー病、夏風邪、熱中症…昨日土曜日も閉院17時まで入れ替わり立ち替わり患者さんが。汗拭き拭きうだる暑さの中、来院される患者さんには「医者冥利に尽きる」と思う以外に、今の私には現実逃避とまでは行かないが、仕事に没頭できる環境がありがたい。 先週にひきつづき、このblogは私の日記。患者さんへの医学のミニコラムも必要だけど、介護している父の状態を今こそ、克明に記しておく事は意味があることのような気がする。 結論から言うと、今入院中。二週間前には最寄りの駅までお寿司を買いに行き、美味しいと食べた父とは掛け離れた状態での入院治療中。94歳になるまで頑張って生き抜いた父の、もしかしたら最期になるかもしれない状態。高齢で身体に余力がなければ、こういうこともありうることは、介護があたり前の時代、みんなが知る必要があるかもしれない。 なので時系列で。私自信が忘れないためにも。
7月19日(日)夕方デイサービスから帰宅。わりと楽しく参加されてましたとのこと。 こんな暑いのに部屋に入り寒い寒いと。発熱している。熱中症?脱水に注意しながら点滴。解熱剤で解熱したらお腹すいたのか、好物のお寿司をたいらげる。デイサービスでは生もので出ないから…食べたいよね…。
7月20日(月)解熱していたので昨日とは別の泊まり付きのデイサービスへ。午後、発熱しているが、元気に食事もし、イベントにも参加していると。解熱剤服薬をお願いした。 私も数ヶ月ぶりに歌のレッスンへ。
7月21日(火)午前中、仕事をしているとデイから電話。発熱、酸素飽和度も90以下。本人は元気だけど咳も出だしたから、家に帰したいと。 この時、日中誰もいないマンションに、明日から一人で置いておくわけにもいかないので、診療の合間にケアマネージャーに連絡。「レスパイト入院はどうですか?」と。レスパイト入院というのは、 一時的に介護が必要な人を預かってくれる短期入院のこと。候補の病院に連絡してもらい、すぐに診療情報を作成。いざという時のために準備。先方は情報を元に判定会議にかけるそうで、明日からどうするかは決まらないまま、とりあえずデイサービスには仕事が終わるまで待ってもらい、夜帰宅。施設の人としっかり歩いて帰宅。顔は紅潮して咳も。明らかに肺炎起こしている。 酸素飽和度も確かに86%前後。在宅酸素吸わせながら点滴。 一晩中診ていたが、酸素飽和度が、2Lでは、たちあがらないし解熱もしない。そんな中父は時々目を覚まし、「悪いね…あんたがいて良かったよ」だって。
7月22日(水)一晩診ていたが、いつもの誤嚥性肺炎より明らかに状態悪い。繰返しの肺炎で呼吸筋も弱っているのだろう。家では限界…。入院させなければ。レスパイト入院のレベルではない。 さて、どうするか…昨日、何となく虫の知らせで妹にも知らせ、一緒に看病してくれていたので、一足先に私は仕事へ。彼女も午後から外せない仕事があるから11時までしかいられないと聞いている。その間になんとかせねば。 私はクリニックに着くと同時にケアマネージャーに連絡し容態を伝えた。レスパイト入院で診療情報を昨日送った病院が、入院させてくれるかもと。 早速連絡したところ、「うちは高度医療はできないから、もし他が引き受けてくれたらそちらの方が…」とはいいながらも、いざという時はよいとのこと。 下手にクリニックから私が救急隊を呼ぶと、搬送先の病院がきまってないと来てくれないことを経験していたので、妹に救急隊を呼ぶよう伝えた。びびって慌てていたから、口上を全て書き留めるよう指示し、それを言わせて呼んでもらう。救急隊がき来た段階で、私が救急隊と話しをし、結果、例の病院へ入院。 その後、妹も諸手続きをすませ、仕事に間に合ったよう。 連携プレー何とか成功。昼休憩中に電話し主治医と話す。やはり誤嚥性肺炎。 最近クリニックで採取した喀痰の培養、感受性の結果を知らせたところ、抗生剤も変更するとのこと。ステロイドも使っていると。最後にナースに「暴れる事はない父だと思うので、夜間、縛らないで」と伝えたところ「うちは拘束はしません」と。一安心。明日は遅くまで仕事なので、5時までの面会時間には行かれませんが、明後日ならバイト終えてギリギリ5時には間に合うかと。 と伝えた。
7月23日(木)クリニックで仕事。夕方までみっちり患者さんの診療。特に連絡無し。
7月24日(金)朝、夕方ギリギリでも伺いますと言いながら容態を聞くと、昨晩「家に帰る」と点滴抜去。鎮静剤使用したとのこと。「そういうことか…抑制しないかわりにドロドロにしちゃうんだ…」 不安になる。任せている以上、何も言えない…。 バイト先も、どんなにはやく終えても定時までいろという、石頭クリニック! 不安で一刻もはやく行きたいと走れば、けつまづいて転倒!左手強打。「内視鏡できるよね。」ころぶたびに心配になる、わが両手。 大丈夫! 病院に着いて父を見れば案の定、寝入っている。うちにいたときとは変わり果てた姿。「わかる?」声をかければ何となく目を開けるが、私とわかるのかわからないのか…。 それでもしばらくすると、ちほ先生…そんなことを言った。主治医の先生と直接話す。共通の知人もいて、この世界の狭さを痛感。 中~重症の肺炎。4Lマスクで吸わせて酸素飽和95以上にはなっていると。 「肺炎が回復したとして、そのあとどうするか」話はそこまで及ぶ。 大切な決定事項。 経口摂取すれば確実に悪くなる。そんな中で選択肢は3ケース。胃ろう造設で食べずにいきながらえる。第二は、食べれば悪くなるけど、可能なら経口摂取させる。 第三は、中心静脈栄養のような点滴。限界あり。最期は苦しくないように対処療法で終末を待つ。 「食べたいもの食べられなくなったらおしまいですよね」 第一の選択肢は私の中ではありえないと!として、後者二つについては、回復できたときに、本人がどこまで自分の意思で「食べたい」ということを言えるか、言えないかで選択は分かれる… 私はそう感じた。 まるで末期癌の最期をどうするかと同じだ。 誤嚥性肺炎にしろ、癌にしろ、結局最期の選択は似ている… そう感じた。 家に帰ると激しい頭痛。 ウェブミーティングの音源いれたまま、朝まで爆睡。
7月25日(土)昨日の頭痛軽減。強打の手の平は紫色。手首まで真っ青だが普通に動く。やれやれ。 クリニックは9時~17時までエンドレス。仕事に打ち込めることがありがたい。 見舞いに行った義弟のはなしでは、呂律は回らないけどしゃべってはいたとのこと。
7月26日(日)先ほど妹と面会に。「どこまで回復するかだけど、もし意識があって食べたいといえば、悪くなる、その、ひと口が命取りになっても、この世で生きてきた、最後の希望は叶えてあげたほうがよいのでは?」 そんなことを話しながら向かった。 と、父はベッドに横たわらず、車いすに座り、リハビリ室にいた。状況がつかめないなか、私が医師と知らせているので、ナースから状況聞こうとすれば、当直の先生から話があると。 嫌な予感…。勘は大当り。 昨晩、ナルコーシスを起こして、目が反転するような状況になったと。「2型呼吸不全」 要するに、父のように元々肺気腫などあり、低酸素になれているような肺に高濃度の酸素がいくと、呼吸中枢がいつもより高濃度の酸素で呼吸をサボってしまう。そのせいで肺には二酸化炭素がどんどん貯まってしまう。これがCO2ナルコーシスの病態。 呼吸状態が変だと気がついたナースが当直医を呼んだとのこと。呼ばれた、今ここで話してくださっている先生が呼吸器外科の医師だったことがさいわいして、ナルコーシスに気がついて、適切な処置をしてくださった。 元々低酸素になれている肺だから日中はルームエアーで飽和度も88~90くらいでよいからと。 そう、元気なときでも父の飽和度は92くらいでも自覚症状無しだったから。 でもね… 低酸素の時間がどのくらいあったのか? 車いすに座る父に妹と私、二人で何を話しても、心は既に彼方に飛んでいるようだった… 二酸化炭素がたまりきった結果、脳が低酸素となったの後遺症か? 足や指先には不随運動も。鎮静剤の副作用? 聞いた量は、痩せた高齢の父には明らかに多い…。鎮静剤の量ももしかしたらナルこった原因かも…。 ここまで治療していただいているし、任せて…。そうするしかない。私が仕事をしている以上。第一、うちにいては手に負えない状態だから入院させているわけだし。 もう既に意識は遠いところに行っちゃっているにせよ、苦しい表情がなければそれでよいのかな…。 道中妹と話した、意識があれば…のはなしは、夢のまた夢のことかもしれない。
このblogを書きながら、何となく、私も覚悟をしておかなければならないかも…そう感じている。一週間でこんなに変わる。かつて母の時もそうだったけど。現実をしっかりうけとめて。
こんな時、仕事にミスはあってはならぬ。それとこれとは別。打ち込めるものがあることがありがたい。明日もバリバリ働くぞ。
