五年目に想うこと
まだ暑いといえば暑いけど、9月と聞いただけで今年の夏を総括したくなる。木漏れ日の光ですら、熱を帯びて、息をするのも重く感じた「激夏」。なのにおわるとなると、なぜかせつなくなる。この時期、頭の中は「夏の終わりのハーモニー」がめぐる。
さて、そんな9月のはじまり。今日は、エクオールの最終回を来週にして別のお題。1日に開業5年を迎えた。「あっという間だよね…」知人は言う。確かに開業前の5年と比較すると、この5年は速かった。「開業して良かった?」 と尋ねられたら「よくわからない…」が正直な気持ち。実家に開業はしたものの、目立たないし、患者さんは少なく閑古鳥状態からのスタート。「大丈夫かしら?」と悩んだことも数えきれないほど。ウキウキ気分より不安に駆られるほうが多かった。それでもすこし認知されつつあるなか、今度はコロナ渦に。せっかく来はじめた患者さんは出控えで、また振りだし状態に逆戻り。クリニックの存続のため、在宅や当直等、隙間時間に出稼ぎしながらの切り盛り…。そうこうしているうちに、何かと理由つけての「発熱診察お断り」の医療機関が多くなり、行き場を失った発熱患者さんの受け入れ医療機関募集に手挙げをすれば、あら不思議! 今度は東京都の発熱相談センターが、登録医療機関として、うちの名前を頼まなくても語ってくれるから、不思議な活気がもどって来た…でも…コロナの診察さえしてくれさえすれば医者なら誰でもいい……通りすがりの医療機関としての立ち位置。いいような悪いような。そんな変遷を経ながら今に至る…。「マイペースで地道に積み重ねる」という、開業するに際し大事にしたかったことが、コロナ渦という時代にもまれ、「考える間もないくらい、目の前のことをこなしてワーッと過ぎ去ってしまった」という感じ。 コロナも5類になり、ようやく「思っていた普通の消化器内科、内科」を標榜する医療機関らしい仕事ができるようになり、こうして5年目を迎えている。 この5年…発熱診療期間であることや、予約制を嫌い去った患者さんも沢山。自分の希望通りの診断書をもらえない、問診で住所を書きたくない、わけのわからないクレームをいまだに言いつづける、私の人生で関わらないですんだような人間との対峙、こうした、開業さえしなければ遭遇しないですんだ、マイナスイメージの経験も、枚挙にいと間はない。特にコロナ渦を経て、一部の、自己中心的な人間の嫌らしさは、この時期も勤務医、内視鏡医でいれさえすれば、経験しないですんだ出来事…。 でも、その一方、何があっても、私が決めたクリニックの方針を静かに受け止めてくれて、ずっと来てくれる患者さんもいることは確か。近いから、便利だからってだけじゃなくて。そういう患者さんと出会えたことは、逆に開業前は、赤の他人だったのがそうじゃなくなっているのは、ここに開業したから経験できたこと。こうした人々…顔を会わせる機会が増えれば増えるほど、当然だけど「通りすがりの患者さん」ではなくなってくる。「この人の体調に何かあって相談受けたとき、適切な対応をしなければ」。名前と顔と病名が私の頭の中で一致している人達… コロナの只中では、「あんなクリニックに行って、うつったらどうしよう…」そう思うのが当たり前なのに、それでも「先生、ちゃんと対策考えてやってるんだから大丈夫。気にしないで。先生こそ気をつけて」とまで。その言葉に勇気づけられもした。 「開業して良かった?」と問われて「わからない」と、答えるのは、そういった、もはや、半ば家族のような患者さんを診察しつづけていくことの責任の重さ。勤務医や内視鏡医として、どこかの医療機関に所属していた時にはそこまで重くしっかり自覚はしてなかった気がする。所詮雇われなら、いつかは私もいなくなり、一生、ずっと続く人間関係ではないから。 あまり考え込みすぎると心が折れそうになるから、自分を整えつつ取り組んでいかないと… この前、とある知人の開業医にアドバイス受けた。私が悩みを打ち明けたら「一世の先生は、熱くなるから…私は親の後継者。親の背中見て…ってわけじゃないけど淡々とやってる。あまり熱くなりすぎないで…距離感も大事」 なるほどね。
そして、コロナ禍を経て今に至るまで、絶対感謝すべき人。うちのスタッフ。ナースも事務も。一緒に笑い怒り…。「人事なんて絶対無理」開業前はそう思ってたのになんとか… スタッフとして集まって来てくれる皆さんには感謝。 そして、もしかして、誰より一番感謝すべきは、ここでひょろっと同居してる父。私がコロナ患者さんに対応している間、今に至るまで「自分にうつさないで。うつると困るからやめてくれ」なんて、これっぽっちも言わなかったこと。肺気腫という基礎疾患だってあるし、私がコロナに罹患し家族内感染となれば、おそらくイチコロ。私が発熱患者さん受け入れ機関登録に手挙げするか迷っている時、一応父にも相談した。まだ、大物俳優が亡くなったり、ワクチンももちろん打ってない、ひたすら恐れられていた時期…。「こんな時代に医師免許持ってる、医町医者の端くれ。それでも求められてるのならば、この時代、100年に一度のパンデミック、出来ることで直視したい」と。父が感染を恐れ、渋い顔したら、私も考えを改めざるを得なかっただろう。「人がやらないことやろうなんて頑張ってるよ。思うとおり行動しなさい」。ヘナチョコ親父だけど、こういうときはお腹の底から、拳を振り上げて声を出す。何よりのサポータ。 5年目、見届けてくれてありがとう。私だけの意志で成り立ってるわけでない。関係者のみなさま、いつも応援ありがとう。