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人生100年時代を見据えて

[2025.05.18]

ここのところ、以前もblogで紹介した、「生きちゃってる」と「生きている」の違い、「健康寿命」、そんなことが私の頭の中をしめている。 多分、4月に93歳になった父をはじめ、毎月薬を処方している、父と同世代の患者さんたちのた口にした言葉や生きる姿に端を発している。そしてこれも最近つくづく感じているのだが、30年余、私が内科、消化器内科医として見てきた医学会の目指すベクトルの方向が、どうも最近変わって来ている…という肌感覚。 学会シーズンで、オンラインで聞いたりしていることも影響してるかも。  それもそのはず。私が研修医の頃は男女の平均寿命はそれぞれ男性75歳女性81歳だったようだ。それが今は男性81歳に女性87歳。さらに2025年には。男性84歳女性90歳との予測。 また、2050年には、今の団塊の世代の12人にひとりは100歳をむかえるという。しかしこれには介護状態ではなく、ある程度自立できる健康寿命が付いていかなことには元も子もないのだけど。 私が50歳台で、老年期をこれから向かえる人間であり、介護を現在日々していてる、加えて平均寿命がどんどん伸びていくただなかでこの仕事に携わりはじめて、現在進行中っていう目線で、高齢社会にむけて、或は自分が高齢者になるに際して、どう備えていけば良いかなど、今感じていることを書いてみたい。   今回は、最近私の周りの90を超えた人々を診て、見て、の具体例を。  

とある高血圧おじいちゃん、先日入ってくるなり「先生に怒られることやっちゃった」って。聞けば、2階に洗濯をほしにいく最後の1段、足が上がらず転倒と。手首の捻挫で済んだみたいで大事には至らなかったみたいだけど、利き腕だったみたいで若干、生活に今は不自由みたい。一人暮らしで週末は遠方に暮らす息子夫婦が見に来てくれるらしく、そこでも2階に洗濯干すルーチンをきつく止められたとか。 私も200%同感。でも本人は長年のルーチンだとか。一階の今は使われなくなっているらしいスペースである車庫に干すことが受け入れられないらしく、ここで愚痴を言う。 そこで私は、90歳台、何もないところで転倒する、交通事故より家での転倒で命を落とすケースの方が多いことを話してみる。でもなんかしっくりしないみたい。ならば…「昔、バイト先でね、つい数ヶ月前に普通に胃カメラをやったおばあちゃんが、ある日ストレッチャーで内視鏡室に入ってきたの。様子が変。どうしたのかと思ってナースに聞いたら、夜中に2階に寝ていてトイレはいった後、運悪くトイレの近くに階段があって、そこから落っこちたみたい。一人暮らしだったみたいで発見が遅れてね…。命は助かったけど、寝たきり、意識もあるんだか。口から自分で食べられないから、胃瘻っていう、栄養を直接胃袋に流すルート作るための胃カメラ目的でその時は内視鏡しなきゃいけなくて…。外科の先生とやったんだけど…なんだかショックだった…つい最近、ごく普通に歩いて内視鏡やりに来たのよ…。 なのに。だから、なるべく一人暮らしの高齢者は、2階より1階に生活の拠点を移してほしいの。○○さんもひとりだから…今回は前に倒れたからまだ不幸中にさいわい。最上段で、後ろにひっくり返ったなんて、想像するだけで怖いよ~。」  また別の高齢者、膝がもともと悪くて… 整形外科でも鎮痛剤を、本人が痛いというからどんどん増量されて…挙げ句ある日嘔吐。食事も取れないと。あっという間に体調崩され、在宅医療を紹介したけど、どうしたかな…。 次は97歳になるおじいちゃん、この1年にもならないうちに奥様とお子さん? 亡くされたことは知っていたけど、つい先日、突然来院。「寂しい、寂しい」と。聞くと何かしてほしい希望があるようでもなく、私が診察しているのを待合室でじーっと座って見ていた。しばらくして「じゃ、また来るから」と、帰るよう。タクシーも呼ばないでよいというからせめて影がなくなるまで見送った。両肩に「寂しい」と書いた大きな石が乗っかっているような寂しい後ろ姿。 気になりおじいちゃん知る人に尋ねたところ、ひとりでふだん、誰も話し相手がいないとか…。 かとおもえば93歳おじいちゃん。自転車で週3回テニス。心臓の持病はあっても元気。ちょっと体調悪ければすぐに私か薬剤師に相談。胃カメラも自ら「そろそろ時期だから…」といって来る。社交的なおじいちゃん。そのおじいちゃんも2,3年前に、奥様…、近所のスーパーで顔寄せ合って買い物する姿を見かけたスタッフが仲良さそうって…。でもしばらくして、奥様他界されてしまい…。一時は落ち込みようにどうなるかと思ったけど、今は乗り越えた? というか、なんか、生き抜いてやろうっていう気迫すら感じる。  最後は我が93歳御父。何とか元気。同居していると足が上がらなくなっていることを痛感する。とりあえず身の回りのことはできるけど、時間のかかりかたもハンパない。本人はちゃんとやってるつもりでも、同居の負担はやはりきつい。さらにはサンデー毎日だから、まず曜日はわからない。朝きちんと起こして問いたださないと。ボケてる割には、今だに、ちほクリニックまで、或はダンス教室、そして今日も私の前に、声楽の先生のところにちゃんと行っている。実は曜日間違えて昨日、雨の中、横浜まで行っちゃってた…。そんな感じ。 先日も認知症外来の帰り、私は自転車なので父だけが電車で帰宅…で別れて出発。ほぼ同時につくくらいかとおもいきや、想定帰宅時間1時間近くになっても帰宅せず。 遅延情報も父からの着歴もないから電話何回かするも出ず…。と、「ガチャ」玄関で物音。 帰ってきた~ どうしたかと問えば、電車で乗り越して(バスでは日常茶飯)隣の駅へ。乗り換えて戻れば良いものの、せっかくだからやっつけてやれ~(?)とばかりに、道を聞きながら、下車したことない隣駅から人に尋ねながら歩いて帰宅。携帯歩数計はね8000台を示していた…とこんなエピソードも。自力でたどり着こうとする意欲と、日頃のボケ具合との乖離に人間の脳の不可思議を感じてしまう。 相変わらず誤嚥にともなう咳は繰り返し、また、いつ肺炎ぶり返すかとは思っているけど、とろみ食、いやがる父に食べさせるつもりはない。かかりつけの口腔リハの先生にもとろみ食はマストと言われてるけど。 歯も1本しか抜いて折らず元気にかみ砕く能力があるのだから噛むことしなけりゃ認知症も進みそう…。私が父の立場なら、老い先短いし、食べたいもの食べさせてって絶対思だろう…。制限されるくらいなら、さしずめ、まるいおおきなリンドールのチョコレート玉、口の中に入るだけ入れて窒息した方がましって年老いても思うはず。 そんな感じで、マニュアルには従わず、私が父の立場ならこうしたい!って思うことを介護に取り入れて辛うじてやっている。

こうした身近な高齢者を診て見て考えること。 フレイル予防と、噛む口と喋る口、これをキープする取り組みが肝なのかな?メタボ対策の検診も大事だけど、フレイル予防や健康寿命を伸ばす取り組みに、ある程度の年齢になったらシフトチェンジする取り組みが必要となるのではないかな? 高齢者を相手にしていると、こういう方向に考えが及んで来ること、理解してもらえたかしら? 続きは来週…。

ミモザのつぎはミニバラ診察室から

 

 

 

 

 

 

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