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今年初めの記念日

[2025.01.19]

一年で一番さむい時期に突入! にもかかわらず、今日はさておき、ぬけるような青空晴天続きの東京。 乾燥も比類ない状態ながら、インフル含めた発熱は若干ながらの落ち着きをみせ、はやくも花粉症対応がはじまりつつある‥ 今日のblogは全く私的な日記。将来の自分に残しておきたい、とある1日の、自らプロデュースした出来事。医療ネタは皆無です。今日は。

先週のblogの最後にも書いたけど、毎年初めのハッピーマンデー、例年なら全くお尻に火がつかない状態のなか、到底1日では片づかない、税理士さんに渡す書類を前にぼーぜんと、なんとなく1日が終わってしまう‥。今年は朝から一点の翳りもない晴天!父もお泊まり、この1日は私のもの! そう思った瞬間、とりあえず‥私は走り出していた。 ラジオの音声を伴走に。成人の日とあり、「今なにしてる?」「成人になってよかったこと」などのテーマでの話題みたい。振りそで着付けのため明け方3時からスタートの成人式家族や、美容師さんからの投稿。あるいは懐かしい顔との再会に心踊らした思い出の投稿など数々‥。 聞いていてはて? 自分には成人式の思い出どころか、精神的な儀式的な境目が全くないことに気がついた。小中学校は地元からはなれた学校だった。おまけに10代で大学進学で群馬で独り暮らし。さらには振り袖はいらないから、そのお金で海外に行かせてくれと親にせがみ、ヨーロッパへ。お陰でバブル少し前、EU前のリラやペセタの時代のヨーロッパを体験したのは掛け替えのない思い出‥と、そんな調子。 式典で、友人との再会など皆無。 さらに、成人になって良かったことと問われれば、責任に裏打ちされた自由と答えたいとこだが、でもそれは、私にとっては、自己責任で何をするにも許された自由な校風だった高校時代に遡る。これも、成人以前。身の置き所がわからず苦しんだ思い出と共にある。 「じゃ、逆に捨て去らず成人になっても変わらずもち続けている、自分を支配している言葉は?」走りながら自問自答‥「生きちゃっているじゃなくて生きている人に」 たしか、これは小学校のときの校長先生が朝の朝礼か卒業式の祝辞?とにかく、幼い頃からの私を支配している言葉。「正しいことは正しい、間違っていることもきちんと認められる勇気を」これも小学校のとき、教育実習生の先生から最後のお別れのとき、ひとりひとりにいただいた、お手製小さな栞に書き込まれていた言葉。定期券通学が終わる高校時代まで、何となくお守りがわりに定期入れにしのばせていた。こんなふうに、幼い頃の大人の言ったこと、心に残ってる‥ 走り続けるうち、気になりはじめたことが。今も年賀状での交流がある小学校時代の恩師。ずっとお会いしたいと思いながらも、学年会などあるかどうかもわからないくらい、私は小中学校時代の同級生交流は皆無で、もはやあの人は今 状態‥。唯一の交流が恩師。 最近、我がクリニック通院していた高齢者患者さんも何人か亡くなったり、そんななか、なんとなく恩師のことが気になっていた。今電話しないと後悔するかも‥そんな衝動に駆られた。今年の年賀状でご自分の時間ができたようなニュアンスがあったので、繋がるか否かわからずとも電話してみた。と、懐かしい声が。名乗ると「ああ、かなまるさんかあ」変わらぬ呼び声。 毎年の年賀状で近況はわかるので、とりとめない会話のあと、先生に連絡を取りたくなった経緯を述べた。「今日は成人式だけど、大人になって根っこに残る言葉って、小学校時代にかけられたものだなって気がついたら懐かしくなって‥」「生きちゃってる生きている」の言葉を伝えたら、先生も「生きる気力を失くしたらおしまいなんだよ‥」と。そして、映画監督の話をしてくれた。かつて、先生が文科省の仕事で映画をみる機会が多くあったとき、監督に「良い映画」と労っても、これで満足とはどの監督さんも言わなかったとか。「小学時代の君も監督と似ていたよ、自分にYESを出さない生徒だった」と聞かせてくれた。 「‥」今だからこそ聞くことができた、恩師にどう、自分が写っていたのか、幼き頃の自分の姿‥。 あっという間に時間は過ぎ、外は薄暮に。夕陽が西の空を美しく染め上げている。「そろそろ買い出しに行かなきゃいけないんだ」「すみません!暗くなりかけているから気を付けて。どうか、転ばないで!」「ありがとう。今日は酒でも買うかな‥」こちらも、駆けつけて乾杯したいくらい、先生の元気な声を聞くことができて嬉かった。張りのある変わらぬ声、まだまだ大丈夫。 電話を切り、「廊下走るな!転んで怪我するぞ!」注意されたっけ‥ 先生、転ばないで‥ 時代は変わる‥。なんか、可笑しい‥。

「YESを言わない自分」ビックリもしたけど思い当たる。 向上心‥。教育者には興味深い生徒と映ったのかもしれない。でも‥それこそ、成人になればなるほど「妥協」という、着心地のいい外套を、手に入れ、ぬくぬく手放せなくなる。おまけに、この性格は両刃の剣。「君は上昇志向が強いね‥」そう言い残してかつて、私から去った人もいたっけ‥。 そしてなにより、現在、成人した大人の世界は、回りとの関り合い。私がこの辺で‥と、yesをださないと、回りもついてこないことだってあるだろう。パラメディカルで働く周りの人もそう。まだまだって言われ続けられれば疲れちゃうだろう。患者さんだって、わたしのYESと患者さんのYESが違うことだって‥。「妥協」ではなく「バランス感覚」。妥協は何かしらに折れる感じだけどバランスは、お互いWin-Win。 そういう感覚をもち、しなやかに生きることが成人した大人のたしなみなのかも。 かつて、母が私への遺言のように最期の頃何度か口にしていた「力強く優雅に生きて」につながるような‥。難しい課題。

成人としての修行はまだまだ続く。 テーブルにはグラスに注がれた赤ワインが。「赤ワインだって熟成度合いで味も深みを増す‥」なんか、似てる‥ 自らプロデュースした2025年の成人の日、心に残る記念日。

 

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