夏の終わり 丁寧に生きるということ
ラジオからは夏の終わりの定番曲。もう8月も終わりとなる。 それにしても、日本のみならず世界規模で夏が怖くなるような災害だらけ。 いったい地球はどこへ向かうのだろう‥。
クリニックは相変わらずの府中市検診祭り状態。あとひとつき。検診中なので、元気な人の、人の出入りが激しいから通常診療、特に発熱患者さんには気を遣う。しかし世間で騒ぐ「インフルエンザ早めの流行」のニュースは今のところ、どこ吹く風状態。8月、コロナ、インフル1名ずつしか確認していない。圧倒的に夏風邪やお腹の不調‥。普段の夏の光景だ。もっとも、今は日曜診療やってないから、動向は読めないか‥。
さて、「もうダメかもしれない」とレントゲン写真で覚悟を決めながら見守っていた父の状態。 今は小康状態。誤嚥を繰り返すスパンも短くなっているから、おそらく、こうして何となく回復しながらも、絶えずごろごろたまるタンである日また、熱発。 誤嚥性肺炎を繰り返し徐々に先細りとなっていくのだろう。今や最後の晩餐は無理となるも、リハビリが功を奏してか、身体は以前より動くのだから、もはや、父の生きる力に任せて見守るのがよさそうだ。 というのも、話す内容は認知症あるなかでの会話だから、今日も15年前に他界した母がいつ戻るかと尋ねたり、相変わらずだが、実はこの時間もまた、私にとっては大切な思い出となりそうだ。 今日もとある事件があった。病室のおとなりの患者さんもまた、父同様のたんの吸引が必要な方のよう。ナースが夕食前に吸引していた。多忙な時間帯であることはわかってはいたが、先程から父もゴロゴロやっている。 ベッドの頭を上げて、しゃべる父が誤嚥しないよう気を遣うも、気が気ではない。悪いかな? と思ったが「こちらも吸引してもらえませんか?さっきからゴロゴロしていて‥」ナースに声をかけた。と、明らかに迷惑そう。 「そんなにたまってるのですか?今忙しくて‥でも、わかりました。待ってて」と病室を出ていった。 しばらくして、やはり、迷惑そうに「モニターの酸素飽和度は低下してないけど‥」と、捨てゼリフをいいつつとりかかる。「そんなに言うなら私がやるよ!」喉まででかけたが、そこは我慢‥ と、でるわでるわ、粘っこいのが。口からと鼻腔からも吸引。ほら、言わんこっちゃない‥ 私は黙って見ていた。 苦しいはずなのに父はこらえていた。 そればかりか、終わったところで「いや~すまんですね。ありがとうございます」 ありったけのはっきりした声で。まさか、気まずい場の空気を読んだ? のはずはないだろう‥自然な父の言葉に、罰の悪そうなナースは救われたのだろうか、にこりと会釈。 果たして‥、苦しい吸引、我慢はすれど終わった直後に礼までのべる患者は私は病棟勤務時代の自分の受け持ち患者さんでは見たことない光景。 それを父は、やってもらったことにお礼。 そういえば、先日もリハビリのとき、お礼言ってたっけ。 こんな状態にあってもなお、感謝の言葉を言える父が私は誇らしい。 まだまだ一生懸命生きている!丁寧に生きるってこういうこと? ありがとう、ごめんなさい きちんと言えること 幼い頃から両親に教えられた。 それをこの瞬間にも実践している。子供の頃は簡単に出た素直な言葉が、ともすると、大人になると確信犯で言わず言えずの言葉だったりする‥。 だんだん言葉や記憶の落とし物は増えても、まだ、残る大事な単語を的確な時にはっきり言える。そんな父の姿に学びはある。 静かに見守ろう。
8月の終わり。私の今年中の夏の終わりの曲ってなんだろう? 今年はひょんなきっかけから、父の入院騒動前からユーミンの80年代のアルバム、バールビアスが懐かしくてひたすら聞いていた。久しぶりに、「夕涼み」。
