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生まれそだった土地

[2022.03.06]

「戦争が終わって僕らは生まれた。戦争を知らずに僕らは育った~」 小学校だか中学校の頃、こんな歌を歌ったこと、ふと思い出した。漠然と自分の生涯で「戦争」という言葉を身近に感じることはないと思っていた。この数週間、坂を転げ落ちるかのように、まさかの事態がウクライナでは起きている。当たり前のささやかな平和な暮らしがあっという間に破壊され、家族はなればなれ、避難、故郷を離れなければならない…日本で日々暮らす中で、毎日見聞きする情報に驚愕と何もできずにいるもどかしさと…日本が良い国か?と思えば、スリランカ人のウシマさんが亡くなって一年…真実を隠す日本の法務体制…この国も真実明かさない国?国会議事堂で平気で嘘つく輩もかつての主でいたし… 何か「沈痛…」の二文字が頭を占める3月第一週の日曜日。  コロナ絡みではデルタのときのよう先細りにすーっとはへらない発熱患者さんからの問い合わせ。おそらく、このまましばらく、増えたり減ったりしながら、続いて行くのだろうと予想してます。 そんな中でクリニックで できることとして、今日もワクチン接種をひたすら…。10時から40分間隔で4クール、総入替制。来る人の住所はほとんど武蔵台。故郷に帰って開業して、故郷の周りの人たちが、春の日差しのなか時間時間で集まって粛々と… こんな時だから余計に自分が自分の故郷で、こうしようと決めた仕事ができることにありがたく感じてしまう。  これからもそうしたいけど、このままだと意外に限界は近い…昨年の夏以降、そう感じるようになった。コロナの波が来る度に体力的な限界を感じ…。コロナがなければ気がつかずに淡々と仕事を続けて、もっと高齢になってから「さてどうしよう?」と考えたかもしれない。コロナ対策が仕事に入り込んだおかげで、早めに気がついた。今は21時過ぎまで仕事して、23時近くに帰宅。そんな私を待っている御爺との短い時間のコミュニケーション、家の中を片付け…なんてやってると睡眠時間も十分とは言えず…   体育会の部活のような生活は、今だからぎりぎりこなせているけど、いつまでもとは行かないだろう…細く長く、生まれそだった土地での仕事を大切にするには、引っ越してもう少し近くに居住をさだめよう!  そう考え、引っ越しを決断しました。しかし問題は同居の父。今年90になる。高齢者にとって、環境変化は決してこのましいことではない。ましてや父は今の住環境を気に入って、自分なりのルーチンワークも「おとうちゃま流」と称して毎日こなしているが、それも継続できなくなる。私の都合で父をふりまわすことに。それでも「あんたが体壊しちゃなんにもならん」とほんとは移動したくないだろうに、ここを去らねばならない引っ越しをうけいれてくれた。 「クリニック近くの老人ホーム」もここに至るまで、何度も妹夫婦も交えて家族会議。 妹は「姉さんが楽になる方がよい」とホーム行を勧める。迷いあぐねて父の認知症外来の主治医に相談。 「老人ホームにいって、良いケースもあれば、逆も…」 そうは言いながらも引っ越し環境変化はリスク。どちらかと言えば「老人ホーム行き」に不等号の向きが向いている印象だった。でも…最後まで父は「あんたとおるほうがまし」 の一点張りだった。  そして何より、確かに世話は大変もあるが、「亀の甲より歳の功…」 むしろ私がくさくさして家に帰ったとき、何はともあれの「おかえり~」 に和みを感じている。 こうして一緒に引っ越すことに。引っ越すには近くなることはもちろんだが、父が気に入ってくれる物件、を条件に探し… で4月いどうを。連休前。  そもそも今の住環境は私が終の棲家と決めた場所。 当然荷物もそれなりに多く… そんなわけで3月4月はプライベートな引っ越しで臨時休業もあります。 事前にホームページに記載します。ワクチン接種の日が休みの予定、日曜日を休みにする予定の日もありますが、ワクチンは代替えで金曜にしたり。ゴールデンウイークも、引っ越し準備の3月4月の不定期休みのお詫びに開ける予定もありますので、ご協力おねがいしますね。 生まれそだった土地を大事にしたり、追われる事なく居住を決められる環境で生きていられること、戦火の状況を目の当たりにするにつけ、ありがたいとしかいえません… 月並みだけど、世界中の力で捩込むような争いがなくなりますように…

 

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