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誤嚥性肺炎と認知症の介護

[2023.09.17]

三連休の真ん中の日曜。農工大のあたりと黒鐘公園には微かに蝉の声。まだまだ暑いけど、暑さ寒さも… 夏を感じるのはこの連休が最後かもしれない… そんな今日は、インフルにコロナ…急患対応ではどちらもあり。以前のような緊迫感もなく淡々と終了。まだ明るいうちに帰宅できたので、秋風微かに感じながら川原をジョギング。

明日は敬老の日。91歳の同居の父。孫でもいれば「じいじ」なんて言われて敬われたかな? そういう経験させてあげられなくてゴメンね…。とりあえず一緒の住んではいるけれど、超高齢の身内の介護は、たとえ医師免許持ってはいても、素人。そんな私が介護を通じて考えたり感じている今の気持ち、今日は、敬老の日にちなんで… 誤嚥性肺炎と認知症を抱える父、抱える問題、どう向き合っているか。専門家に言わせれば問題点もあるのかもしれないけど、同じような問題抱える人の一助、そしてまた、何年か先の敬老の日に自分への備忘録がわりに。

誤嚥性肺炎、退院して3か月経過。再入院こそしていないものの、相変わらず食べれば咳。退院後、口腔リハビリのクリニックに受診させて定期的に通院している。そこでの評価では、案の定、嚥下筋力が低下していることでの誤嚥。早い話が、自分の唾液でもむせてしまう。フレイルで体重減少してしまうと、益々嚥下筋力も衰えるから、とにかく体重増やすようにとのこと。(筋力低下は足腰のみではないのだ!) そんな指導のもと、一度に沢山は誤嚥につながるから、間食もふくめて食べるように…と。ただ、これが難しいのですよ。下手すると1日2食になってしまう… 日中一人だと寝てることも多いみたい。そこで「メイバランス」など、125mlで200カロリー摂取可能なものを、嫌がらず飲んでくれるので3本、頑張って飲んでもらったり、あとはアイスクリーム。 特に夏、暑かったから、摂取しやすかったみたい。結構なカロリー稼げる。高いけどハーゲンダッツは少量でカロリー稼げる。誤嚥と戦う父にはカロリーパーフォーマンス(少量で高カロリー) を考えないと。で、何とか現状維持の体重だが、アルブミンは3.6前後をふらふら。 相変わらず、食べれば咳するし、夜もゴホゴホ。正直、「うるさーい」と思うこともあるけれど。採血データでは、過日入院時のような悪化傾向がないこと、とりあえず食べられてはいるので、多少の咳では、今は慌てなくなってしまった。 入院も、よほどでなければ本人も嫌みたいだし…。あとは、ケアマネージャーさんの薦めもあり、口腔リハビリを行うため、週一回STさん(Speech-Language-Hearing Therapist) に来ていただいている。彼らは、言語によるコミュニケーションや摂食・嚥下機能に障害を持つ患者に対する機能訓練・指導等を行う専門リハビリ職だが、私の居住地域には市内全域を担当するのに3人しかいないとか。需要に追いつかないのが現況のよう。こんなことも、実際に利用する立場にならないとわからないこと。「パタカラ パタカラ」発声や、あとは「吹き流し」を利用したリハビリ等も行っているようだ。 今は溜まった痰も吐き出す力があるから良いけれど。今後が問題。 「超高齢者」と「口腔機能低下=オーラルフレイル」 がこんなに重要視しなければならないことだとは父の介護を通じて恥ずかしながら新たに認識しました。

さて、認知症の父との向き合い。「アルツハイマー」ということだったが、主治医を変えたら、典型例とは違っているとのこと。診断が変わることは良くあるみたい。父はアルツハイマーにしては進行も遅いらしい。 今のところ行った先からは戻ってくるし、失禁もない。だから、日によっては日中一人きりで刺激がないこと、不測の状態が問題だけど、本人が老人ホーム行きを望まないことや、今の父の生活リズムをキープするには、在宅でヘルパーを入れて見守りをする方が良いだろう…と判断し、在宅としている。 よかれと購入した補聴器はいやがって実際は中々利用できず。同居の条件だったこともあり、使わないことで絶えず、激しいバトル。本人は食べるときの咀嚼音がきになるみたいだけど、つけることで周囲のへの感覚が広がり認知症の進行を防止にもなるし、聞こえないで迷惑している私への誠意! といってもしてくれない。 つけっぱなし、出しっぱなし、薬の飲み忘れは以前にも増して…。つい数日前も、テレビ消したら「川のせせらぎ?…」あらら、洗面所の水道出しっぱなし… 父が寝てから一時間以上? この時は、頭に来て、寝ている父を怒り、たたき起こしちゃった「ちょっと~なにやってんの?」 最近、怒ってばっかり。認知症の場合、「なんで怒られたか?」は忘れても、怒られたというネガティブな感情はどんどん蓄積するらしい。だから抑鬱的になったり介護者への否定的な感情につながるとのこと。「オトウチャマもこんなになるとは思ってなかったんだよ…」 そんな声を聞いてしまうと「しまった!」 気をつけなければいけないんだけど。怒ってから後悔のパターン。トホホ…   でも、父なりに頑張っていることもある。こちらは実践。「非陳述記憶」といって、身体で覚えた記憶は、比較的保たれていると聞いたことあるので、父には洗濯物をたたんでもらったり、掃除もお願いしていた。「ありがとう」。 自分が役に立っているという感覚が大切なようだ。 残念だけど、90過ぎると「なだらか」というより「階段下りるように」というべきか、がたっ、がたっ…全てに落ちて来ている。 頭ではわかっていても、落としたり、こぼしたり… そこに介入する手間が増えれば増えるほど、こちらもいらいら… 正直今は同居ぎりぎりかしら? 身内は90過ぎたらホームでも、誰も責めないよ…言ってはくれるが… 父がここで暮らしたいのならヘルパーさんの介入(父はそれもいやがるけど…)を増やして、一人で抱え込まないよう、もう少し頑張ってみるつもり。 今投げ出すと、将来私が後悔する気がするから。 あとは「ここまで長生きして自由にいられるんだから、もうあとは何があってもいいよね…」 こちらも完璧な介護をしようなんて思わないことにした。 あと、もうひとつ最近私が実践していること。ぼーっとしているときとはっきりしているとき、波がある。一緒に暮らしているとわかる。 はっきりしているなと感じたとき、こちらも時間と心の余裕があれば、先の戦時中のはなしではないが、聞きたいことや言いたいこと、たずねたりしている。 最近大事なふたつのこと、聞いてみた。「今じゃ私に怒られてばっかり。昔は威厳があってオトウチャマが首を縦にふらなきゃどうにもならないこともあったのに。すっかり立場逆になっちゃって、生きていて楽しい?」 高齢の患者さんでは「国のお荷物だからお迎え来てもらいたいのに来てくれない…」そんな方もいる。父はどう感じているのかしら。「命ある限り、しっかり生きないと。」 まだまだ前向きだ。 あともうひとつ。「いつも私の意志尊重してくれてありがとう。学費もかかるのに群馬に出してくれて。今回も、発熱患者さん診てても、何も言わなかったけど、何年も、どう思ってた?初めは賛同してくれたけど。」「やっぱり怖かった。何度かもういいんじゃないかと喉元まででかかったけど、今さら後にはひけないし、黙っとくしかなかった…」 やはり怖かったんだ…私は認知症あるからことの重大さを認識できていないのかな?なんて思ったりもしたけど、そうではなかった…。 わかって、許してくれていたんだ… 何があっても親は親…  どうせ忘れるから、過去の父への感謝は正気なときは、なるべく口にするようにする…これは最近実践している。「ありがとう」…。    自分が90を超えて長生きしたら… そう想像してみる。ひとつひとつ落とし物をするようにできてたことができなくなって落ち込んでるとき、例えば私なら誰かに、「100キロマラソン、何度も完走してるんでしょう?その話聞かせて」 とか、自分を誰かが尊重して認めてくれることが、もしかしたら生きる糧になるかも。 こちらも頭に血が上らず、冷静なとき、自分があの年齢になったら… 想像しながら介護…これも介護のポイント?

仕事と介護と…もっと良い方法もあるのかもしれないけど、日々迷いながらもやってます。

私と一緒に声楽も。明日も行ってきます。

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