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開業決めるまでの裏ばなし~その9~

[2018.03.23]
治代さんやご主人の丁寧な説明のお陰で最終的には「今の技術は進んでるねぇ、もうわかったから僕はなにも言わんよ」ようやく父の理解の閾値を越えたのか、何とか治代さんは予定通りに業者さんへ見積もり提出。
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九月末、概算見積もりがでたとの報告で事務所に出向いた。私と治代さんが話している間、同席していた小畑さんが先に机上の書類から透けた数字を見つけて「先生、行けそうですよ!」よっしゃーと言わんばかりの眼力で私にサインをくれたときの一瞬の光景、今も脳裏によみがえる。そう、治代さんの当初の予想とそう違わない額。というか白崎夫妻の尽力でそうなるように設計してくれたのだ。こうしてこの時から本格的に開業に向けて始動となっていく。
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決まったとなったら小畑さんはすばやい。次は医療機器。私は中古と新品おりまぜ揃えるつもりだった。まだ開業まで間があるが、早いうちに業者さんに面通ししたほうがタイミングを逃さず機器が手に入りやすいとのことで、すぐに業者へさんへ。私は一括購入して値下げ交渉の道を選んだ。交渉は小畑さんにお任せ。次に電子カルテ。これは3会社の中から予算と使い勝手で選択。どんどん話は進む。unnamed
一方、治世さんとは細かな内外装の具体的な素材選びの打ち合わせが続く。屋根や壁、床から照明、収納棚の設置に至るまで…。デザイン関係のことなのでいちばん家作りで楽しくワクワクするところかもしれない。が、私にはわくわくより驚きの連続!決めねばならないアイテムが山のようにある。じっくり選ぶととてつもない時間を要するのであろうが、私には迷うことがほぼ皆無。「ちほさん、だいたいこんなイメージが好きかと思って…」と治代さんが提案してくれたいくつかの中で「そだね~」ってなぐあいで即決。治代さんのプロとしての見識眼?はたまた、だてに三年間、同じ空気を吸ってた訳じゃない同級生だった二人の好みの一致か、とにかく形、色合い、素材関係はサクサク決まった。父が迷惑かけた分、少し取り戻した?そればかりか、「このラインならこういうのもあった!」と一度決まったのに、さらにリーズナブル、あるいは良いものを、取り出すのも重たくて面倒そうなカタログの中から、労も厭わずみつけだしてくれる。
ありがたく頭が下がる。「依頼人が満足いく建物を」を限りある予算のなか、もっとよいものをとポリシーを全うする友人の仕事ぶりに感動するとともに私も見習わねばと、どこか気が引き締まる思いがした。
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この頃もうひとつの作業。肝心の資金集め。融資だなんだ、私慣れない交渉の場面、お世話になる税理士さんが、暮れの忙しいなか、一緒に出向いてくださった。いや~助けられました。
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そして肝心の実家…「ゴミ屋敷、年内掃討!」を合言葉に週末ごと、家族総出で片付け作業。
まあ、でるわでるわごみの山。父もよく暮らしていたものだ。「期限切れビンつめ、缶詰め」数年兵糧攻めにあっても死に絶えないと思えるほど、生前母がストックしていた食糧の処分がもっともたいへん!そんな面倒な作業も含め妹夫婦、とりわけ妹の旦那にはとことん、力を貸していただいた。unnamed
最後の懸案の大仕事、父との同居…。私もお気楽暮らしのピリオドをらうちかね、父も頭ではわかっていてもなかなか腰をあげずの状態だった。しかし、老人の独り暮らしは危険…。ちょっとした出来事もあり、一番のお荷物の移動もあえなく終了。こうして昨年末にはからっぽ空き家となった。unnamed
建築の目処がたった昨年秋以降、同時進行のできごとをこうしてこなした。その間ここに登場した沢山の皆さんに力を貸していただいてなんとか乗り切れた。
私一人じゃなにもできないけどみんなの力の凝集!
足かけ2年に及ぶ開業裏話はこの辺で…
あとはこのブログのはじめにつながる経過をたどり現在に至ってます。unnamed
私の備忘録、「みんなの力の凝集だよ」ということ忘れないため…あと、開業に興味持つ同業者、クリニックに興味持ってくれた人に向けてつらつら書き記してみました。
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