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生きてみないとわからないもの

[2025.08.17]

なんだかんだ、8月も後半。焦げてしまいそうな連日の酷暑ではあっても、陽はだいぶ短くなり、夜風に吹かれれば秋の虫たちの合唱が流れてくる。  長くとれば9連休となるお盆休み、クリニックは通常通りの開業だったけど、緊急枠は他の医療機関がお休みのせいか、発熱患者さんからの問い合わせがほとんど。コロナ一色と言っても過言でははないほど、この1週間に関しては、増加している。夏風邪と区別つかないような軽症が多いし、高熱だからと調べても陰性だったり。他の医療機関の先生と話す機会があったけど、夏風邪と区別つかないような軽症も多いし、調べるというと拒否って病院に来ないで市販薬で対応している人の中にも陽性者は相当数いるはず‥そのような見解だった。 万博なんかも開催されているし、第何波‥なんてやってると大事になるからあまり騒ぎにもならないだろうけど、現場の実情はこんな感じ。

さて、数回、介護のことをblogの話題にした。超高齢、人生100年時代‥でも認知機能の低下にフレイル、できないことが増えてきて。父を「見て」「診て」「看て」いると「ここまで生きるとなんだかしんどそう‥」そんな感情も最近になり湧いてくる。一方、「名残惜しいけどもうおしまい‥」自分の死期を悟り静かに涙を流した母の姿は何年経っても脳裏に鮮やかに蘇る、もうひとつの人の生きざま。 戦後80年‥特に今年はマスコミでは様々な特集が組まれ、戦地で被爆地で選択の余地なく、一瞬で、或いは壮絶過酷な中で消えたり吹き飛んだ命があったことを毎年より強く心に響く。 人の人生、人の死‥。 時期も姿も選べぬ、でも必ず等しく訪れる。鳴く蝉や亡骸の蝉を目にすれば、虫や動物は皆同じ形で死んでいくけど、人間は様々なかたち。 

最近、ぼーっと考える。 偶然ってあるのかな? そんな考えに呼応するようなコラムを目にしたのでぜひ、ここに載っけたくて。時々利用する東横線。「サルース」という、沿線駅にある情報誌。私は密かな愛読者。とくに、情報誌一番後ろにある佐治晴夫さんという理学博士の「宇宙のカケラ」という連載エッセイは欠かさず読む。 先日、歌の帰りに横浜駅であったあったと手にして、いつものごとく、最終ページから目にする。と、「生きる ことについて考える」とあった。このエッセイ、今の私に、将来の私にも何度も迷うとき、目にしたいエッセイ。 著作権の問題があるから、佐治晴夫さんが「SCLUS 2025年8月号」に書かれたエッセイです。 私はうまく言えないけど、救われたような、ホッとした気分になりました。 以下に。

 

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