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ナルシスト!

[2023.11.05]

11月…。季節外れの暖かさ。クリニック入口の検温器が、強い日差しに当たった来訪者のおでこに反応してけたたましいアラーム音を響かせる。11月なのに真夏の余韻はこんなところにも…。 先週は定休に2日おまけつけて、遅めの夏休み取りました。blog更新できないエリアでのんびり…。12年ぶりの声帯炎も、そもそも声出さないことが1番の治療。私にとっては助けの休息日でした。が、戻ってクリニック留守電には「熱でたけど、どうしましょう…」なんて吹き込みも。アナウンスの時間は、そもそも日本にいてもクリニックやってない時間…。繋がらなくても仕方ないよ…。

普段は分刻み、下手すりゃ秒刻みで仕事をして、ぼんやり、物思いにふけるなんて、日本じゃまずない。海外でも観光目的となりゃ、私の場合「せっかくだから…」を合言葉にコマネズミが如く動き回る…。今回は前回、見事雨天に見舞われたビーチリゾートへ再訪。宿泊先を変えて。リベンジ!気持ちは通じました!ピーカンに晴れた強い日差しのもと、海辺でのんびり。ビュッフェで朝から食べたいもの、しこたま食べ、でもやはり、これはルーチンと、ジムエリアできのおもむくまま走る…。3連泊ゆっくり。父のことは身内に任せ、日本と誰とも連絡とらない…喉のためにも。

2日目の夜は満月だった。満月と海辺…。これも私の大好物。しかも偶然の巡り会わせ。夜9時過ぎれば誰もいないビーチサイド。プライベートビーチが続くエリア。ひたすら歩いて歩いて…。静かな満月の晩。月明かりと波の音のみ。ゆっくり思う存分歩く…。時折ディナーを終えたカップルか、怪訝そうな警備員とすれ違うのみ。なんて贅沢な時間なんだろう。終わりのない散歩。何時までに戻るなんんて決まりもない。部屋にはアルコールとチョコ。トイレ掃除も明日の食事の準備も、薬の管理もなーんにもしなくてもいい…。 今回のプチバカンスで一番の至福のひと時だった。 翌日 最終日、レイトチェックアウトだったのでビーチでゆっくりした後、最後にジムへ。「2662 chiho」すっかり顔なじみになったトレーナーが、入るや否やvisit card名前書いてくれる。 「もう最後かあ…」ランニングマシーン越しに見えるうっそうとしたジャングルもどきの木々、その先のビーチへ続くプール…。東京のジムとは異なる窓越し風景をエンジョイしつつ、壮快に走る。聞いている音楽に、口ずさんでる自分。「あっ、少し声でだした!」出国前の悲惨な声からすると、速い回復力。ホッとしつつうれしくなる。良かった…。と、ふと頭に降りてきた言葉。突然。なぜか。「私は私が一番好きなんだ」。 好きな風景に好きなこと、好きな食べ物、好き好き好きをちりばめてゆっくり過ごしていたから、ふとわいてきたのか。 

突然湧いたこの言葉。自分が好き。ナルシスト…。世間的には褒め言葉ではなさそうだけど…。帰国の途につきながら頭の中をくるくる巡る。「忍耐、責任感、自分勝手、マイペース、優しさ、わがまま、虚栄心、自意識、見栄、努力、偽善 共感、物欲…」自己評価に値する言葉を並べてみる。でも、ぜーんぶ剥がしてのこったものは「結局、私は私が一番好き」ってこと。仕事も、人のためにじゃなくて、自分の持ってるスキルを発揮するのが楽しいから。介護も投げ出したくない、投げ出す自分は好きな自分じゃないから。数少ない友人や知人も自分が好きな人々。そう意識してみると、全てが腑に落ちた感じ。「あなたのためにやっているのに、なんで伝わらないの?わかってくれないの?」 今まで誰かのためにと思ってやってたことも突き詰めれば、ナルシストな自分が自分が心地好くなるためにやってただけのこと。誰かのためにやってるなんて考えると、思い通りにならなくて腹もたつこともあるけど、でも立ち返ればそれは自分が心地好くなるための事象。Outputすることが変わるわけではなく、何かがおおきく変わることもないけれど、自分で自分にカミングアウトしたことで、気持ちの持ち様も変わるのではないかしら? 「ご苦労様」って言われても「いえいえ私が気持ち良くなるためのことなんです…」

帰国して、同居の御父。いつもいる家族がいなくなると混乱するのか「今日は12月1日…」何て言いだす。驚くと同時に悲しくなる。現実に引き戻された気分…。でもね、時々この人、妙に頭脳明晰になることがある。認知症研究分野でも、このような現象、どこまで判ってるのかしら…って思うほど。 そんな91歳の父、人生経験豊富な人間は、先の私の発想どう思うだろう? それに…ナルシストって人に誇れるようなキャラクターじゃないし…そういう人間を父はどう思うのかしら? ダメ元で聞いてみた。「今回の旅行でね、ずっと一人で嫌なことや日常排除して、お気に入りに囲まれていたら、気がついたことがあるんだ」「何?どうしたの?」 「私は究極のナルシストだよ、多分。人のために世のためになんて嘘ごと。人の役にたつ仕事なんて言われ、そう思ってやっていたけど、自分が心地好くなるためにやっていたんだって気がついた。介護だって、べつにおとうちゃまが好きとかじゃなくて、自分のためにやっているのかも」  黙って聞いてた父、すぐさま「そんなの誰だってそうだよ。じゃなきゃこの世の中に生きてなんていけないさ。身が持たんよ。みんな口に出して言わんだけだ…」 びっくりした~。即答だぁ。「そんなこともわからないのか」ってな口ぶり。 91歳まで生き延びる人からの意見、「じゃなきゃ生きて行けん!」も、なるほど…。当たり前に気がついただけなのね。聞いてみて良かった~。  「ナルシスト」という言葉の良し悪しは別として、少なくとも私にとって、自分が発信するベクトルの向きが違ってたという気付きは、時に日常の心の均衡を保つには大切な気付きだと思った。  ふと、テレビに目をやれば「私何も悪いことしてないのに~」泣き叫ぶパレスチナの女の子の影像が映し出されている。 そして、父と対面するテーブルの上に目をやれば、しまいそびれた「日本国」と書いた赤いパスポート…  ナルシズム追求もおかれた環境次第…そんなこと言えないくらい追い詰められた環境も今、この瞬間、存在している。 同じ時間を…同じ地球で生きているのに。

Lazy

 

 

 

 

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