介護~どこまでが許容?~
「それってわがままですよね、お父様の!」 その一刀両断ともいえる一言はまさに私にとって、今までの是が非になるものだった。 数週間前、介護審査員から放たれた一言。
数回前のblogで、同居して世話している父の認知度が少々加速気味に低下していることは話題にした。ショックだった失禁に始まり、最近は朝、人が忙しい最中に今日は何曜日?何日?同じことを何度も何度も確認してくる。鍵の掛け忘れや、冷蔵庫の製氷ドアは開けっぱなしでアラームにも気がつかず。夜中に帰宅すれば網戸は全開、これじゃ蚊どころか、ゴキブリだって出入り自由‥ ぶつぶつ言いながらの部屋の整え。当然、飲みわすれの薬の服薬も起きていれば促し‥ 勤務医なら少し仕事量を調整すべく常勤降りてパートに一時切り替えたりすることも可能だろう。母の看病のときはそれで乗りきった。 が、いまは開業している身。プライベートを理由に患者さんに迷惑かけるわけにはいかない。が、来院する患者さんも、年齢がかさめば抱える問題も増えてきている‥ あっちもこっちも私には重石のように感じてしまい、いっぱいいっぱい‥走って帰るほどの元気かと思えば(これも、一種のヒステリー発散か?)、動けなくなり、クリニックで深夜まで寝呆けてしまうことも、この夏は何回かあった。 で、ケアマネさんの薦めもあり介護認定の変更願いをした。 前述のひとことはその審査で審査員が放った一言だったのだ。 「今までもお嬢さんが大変だからと老人ホームにいれようとしてもいやだ、ヘルパーも断る、在宅酸素のチューブも補聴器もつけたがらない‥それじゃ家族は大変かもしれないけど、結局全てお父様のわがままじゃないですか‥」見方によっては、そうもとれる‥今まで絶えず「できることができなくなっていく、老いを迎えた人の気持ちはわからないし、本人が心地よいように。なにより私はこの人の力無しには、人として一人前の成長はできなかった、私の父親だから‥」「後悔ないように」そう念じながらやっていた。 が、肉体的にも精神的にも、仕事との兼ね合いでバランスとれなくなりつつある私には、ショッキングな一言だったけど、自分の生活を制限することが逆に後悔になるのでは? 今まで考えたこともない別の側面からの介護への考え方もあるのだと、目からうろこ。 いたわりや、多少のわがままも許容の範囲で‥。自己犠牲と思ってやるのは後悔ないようというより、自己満足?
「母にはできるだけの事をしたから父にも同じように」そう、考えやってきた、自分より弱い立場になった、両親への対応のあり方に、「なんか‥わたしはこの20年なにやってたんだろう‥」そんなひねくれた感情までわいてきてしまう‥嫌な奴な自分‥。
悶々と介護のあり方を考えるなか、数日前に、「要介護1から3へ」審査結果はそう下った。 結果を聞いたとき、肩の力がぬけた思いがした。世間的に見ても介護度合いが増しているんだから、もう、抱え込まなくてもいいのかな? わがままや希望も、私が聞くことの限界に達するほど手に余るようになってきたことが公に認められたんだから無理しなくても許されるかも‥ 心が少しほぐれた心地がした。 ガンバラナクテヨイノカナ?
「親なんだから」「私をここまで育ててくれたんだから」その気持ちと、介護する人間のメンタルとフィジカルのバランスは、ときには第三者の目線も必要かもしれない‥。 まとまりのないblog。 私だけじゃなくて同じような悩みの人はいるのかも。「自分が後悔ないように」数ヶ月前、介護の経験もない旧友が口にした言葉に違和感を覚え、それ以上話したくなくてすぐにそっと立ち去った私。 ずっと心はさまよっていたのかもしれない。明日は敬老の日‥。 弱い立場になった老人にどう対峙するか‥ 敬う気持ちは捨てずに‥