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高齢者の介護に学ぶ

[2025.03.09]

春の陽気とはいえ変化の激しい今シーズン。加えてプライベートも仕事も変化がはげしすぎて… 仕事では、検査すれば何かが見つかるということが、たまたまかもしれないけど、多く、話をして然るべき場所に紹介して…そういうことが次から次へとおきていた。消化器内科はもとより、婦人科、循環器、脳神経に脳外科まで。色々な患者さんが訪れては第二の治療先へ‥ 2月末から今日に至るまで、目の前のハードルをひとつひとつ飛び越えながら過ごした感じ。倒さずクリア出来たから今ここにいるのだろう。 

「先週blog更新なかったからお父様大丈夫?」いらした患者さんからも尋ねられたけど、気にしてくださっている患者さんへのご報告、もしかしたら世の中の介護生活をしている方々への判断や、考え方の、ひとつのケース症例として、そして何よりこのblogは私の日記。令和7年2月23日、天皇誕生日祝日から今までの出来事、私自身、忘れてはならない。

ちょうどこの一つ前のblogを綴っていた23日夜。この日はクリニックも祝日休診、加えて明日月曜も休診日だから…父もお泊り。久々の休みを堪能していた。早々にblog仕上げてゆっくりお酒でも‥。と、父の泊まり先から電話。「日中は何ともなかったのに、風呂から上がって、2025の20やウクライナのウクが見えないみたい。本人もなんか焦ってる」とのこと。夕食中だったようで、食欲はあるし、喋りも普通。ふらついたりもしてないけど目だけが変だとのこと。休日の夜だし、様子見るか‥。しかしよく聞けば風呂上がりの血圧が上が156あったとか。ならば普通に測定すればもう少し高いはず。視覚にかかわる神経経路で脳出血起こしたかもしれないぞ!念のため、救急車呼んで脳外科へ運んでもらうよう、預かり先にお願いした。救急車到着後、担架にも乗らずに独歩可能。どこか気になるとこはと問われれば「確定申告が‥」なんて言っているらしい。とぼけちゃいるけどどうかなという状況。しかし、悪い予感的中! 搬送先の精査で右後頭葉に出血巣あり。再出血の危惧も懸念されそのまま入院となった。 翌月曜の休みに主治医から話を聞きがてら会いに。出血巣は意外に大きいのには少し驚いた。このあと、別のところで出血なければ良いけど‥。今シーズン血圧乱高下の患者さん多いが父も例外ではない。元々90過ぎりゃ、全身の血管のどこかに脆弱な部位のひとつやふたつ、あるだろう。そこに圧が加われば破れたりもする。 さて、いま最大の難事は本人が入院の理由がわからないこと。目が見えないのも、その日テレビを見すぎたからと思っているようだし、苦しかったり痛いわけでもないから私の顔を見るなり(近くにいたナースに遠慮し声をひそめて)「おとうちゃまはここにながくおるつもりはないよ」何て言う。「これ以上ボケると困るから長く入院はさせるつもりはないよ。でも、また、血が出ると困るから暫くおとなしくしてないといけないの」 高齢者の入院は必要あれど、認知機能低下とのせめぎあい。 はらはらする。入院翌日のこの時点では、たしかに視覚にいつもと違いは見られたけど、あとはいつもどおりだった。 「一週間くらい我慢してね」搬送先病院へは仕事しながらじゃ物理的に行かれないところのため、私は日々見舞ってくれる身内に託した。かつて、自分の受け持ち高齢者が入院後、あれよあれよというまに認知症が進行したのを何人か経験しているし、ましてや脳出血後。私は日々の報告をびくびくしながら聞いていた,。 日にち感覚は明らかにすたれてはいるが、しゃべりや、見舞い客が誰だかはわかる。しかし、ずーっと「なんで入院しているの?」は続いているとの報告。 

経過良好で3月1日、一週間後に退院。  やれやれ‥はらはらしながらも父は入院していたので、仕事が多忙でも帰宅時間も気にせずマイベースで生活していたが、これからまた、元の生活となる。複雑な気持ちでいたことは否めない。  そんな私に罰がくだったか? 私の帰宅までの預かり先から連絡が。 「退院後、なんとなくおかしかったけど、いきなり失禁した。熱が38.7度ある。なんか、わけわからないこと言ってるし‥」えーっ。青天の霹靂。「なにがおきたのか‥」ちょうど時は(土)の夕方。今日の患者さんのカルテ整理中。明日も検査含めて仕事有り。私は身動きとれない状況。日がな一日介護はできない。それより、失禁やせん妄は熱のせい?他の原因?そもそもなんでいきなり発熱? 色々なことが頭のなかで錯綜。とにかく、この数日どうにかしなければとの周囲のアドバイスで、先ほどまで入院していた病院をはじめ他の救急あたるも、発熱はうちは関係ないとか何だかんだの理由でお断り。 うーんどうしよう‥。 私だって1週間に2回もあちこち病院転送されれば気が変になるかも。ましてや、それが自分の意思とは関係ないところで操作された結果ならばよけい混乱する。 脳外科入院も判らず過ごしていた父にはこれ以上環境変えるのはよくないのでは? 通常の生活に戻しながらできることをすればいいのかも。新しい入院先でワケわからずせん妄進んでしまうくらいなら、まんがいち、熱下がらず全身状態悪くなっても、私が自分でできる限りのことをした結果ならあきらめもつくのでは? そう考え、搬送先をちほクリにしてもらい、クリニックで再会となった。 あいかわらず熱は38度越え。私のことはわかるけど、ここがどこだかわからない。娘の開業先と伝えても、あんたは群馬で開業したのでは? なんて言ってる。おまけに浅草いかなきゃなんて‥。10日前は自宅からここまで歩いてこられたのに‥。 悲しくなるけどやることやらねば。 発熱もあり極度の脱水だ。コロナインフル陰性。消化管感染もなさそう‥と、咳。「こりゃ、また誤嚥性肺炎起こしたかも‥」痰培養、採血採尿諸検査後、すぐ点滴開始。 補液すると、すこし生気をとりもどしてきた。あいかわらず、つじつま合わないこと言っているけど、これなら、入院しないでもいけるかも。身内の協力を得られることをありがたく、クリニックで対応開始となった。検査結果も、そこまで悪くなかったし、みたてどおり誤嚥性。いつもの抗生剤がヒットしてくれたのも幸いだった。 治療しながら心がけたのは、今までのルーチンをなるべく継続したこと。解熱し体調回復兆しとなったらデイサービスや喉のリハビリ、毎週のイベントはいつも通り行った。心配した目の方も、歩くぶんには困らないようなので、これも協力してもらいながら歩かせてみた。しっかり歩けてはいるようだ。入院でそこまで筋力もおちなかったみたい。次には強行リハビリだけど、クリニックまで送迎なしで来られるかトライ。何とか、クリアできた。 

まだまだ、どこまで、脳外科入院騒ぎ前の情況にもどっているのか、怪しいことかぎりなしだけど、すこしずつ、回復はしているようだ。2回目の入院は無理矢理させないでホンとに良かったと今になって思う。環境はなるべく変えず、頭でよりも、身体にしみついているルーチンをキープしながら生活してもらうのが父みたいな高齢者にはよいのかもしれない。父が二週間前に突然視野がおかしくなり、救急搬送されて入院していたこと、何回質問しても覚えているようないないようなあやふやな情況‥。介護している側からすれば、きちんと、つい最近の出来事くらい覚えていてほしいけど、それが叶わないのなら、もういいやとの諦めも必要かも。とりあえず、今日一日、元気ににこにこ過ごしている父でいてくれればそれでいいや‥ 介護と仕事、怒涛のように過ぎ去った2週間ふりかえってそう思う。

私は‥やはりルーチンは崩さず、どこかのタイミングで走って頭を空っぽにした。脱気しないと張りつめちゃうから。梅の香りにいつかこの情況思い出すのかな?

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