メニュー

久しぶりの帰省 そして巡り会った詩

[2022.10.09]

今週末は休診。土曜日、日曜日を両日休みにしたのは、開業以来、初めてのことだと思います。  今の時期が府中市検診が終わってホッと一息の時期であるのは想定内だったけど、発熱外来の混雑状況や、最近の台風や地震に至っては全くの賭。だけど、父の郷里への帰省のお供をしようと早い時期から決めていた。90歳の父は自分が元気なうちに、郷里に眠る親族の墓参り、(父が慕っている)今も健在の95歳の姉さんに会うことを望んでいたから。私自身も多忙を理由に怠っていた墓参りや親族との再会、昨年亡くなったいとこの奥さんの一年供養を果たしたいとの願いもあるから。

で、今晩は宮崎の宿泊先からのblog更新。クリニックは休めども、これは徒然なる私の日記でもあるから、なおさら、今日は外せない。

せっかく宮崎に出かけたのだからと、昨日は我が命名の地、高千穂へも行きました。ほんと、こんな機会でもなければ来られない、でも大切な場所。命名者の父に初めて連れて来てもらったのは小学校6年の夏休み。彼此40年以上経って、当時の父より歳を重ね、全く同じ家族旅行とはいかないまでも、再訪できたことは、意味あること。当時の私には漠然と「風景がきれいで歴史のある土地」くらいの感じ方しかできなかった。歳を経て、風光明媚なだけではなく、「天孫降臨」日本神話の原点となるような、伝説とはいえ日本の創世記に縁ある土地であること、さらには父なりに、「実ほど頭を垂れる稲穂かな」 そういう人物になってほしいというおもいがあったことなど聞いたりしたものだから(とほほ…私にはちと、荷重だが…)、再訪はいつか叶えたい夢となっていた。今回一緒に土地に行き、父との会話で何かの拍子に「オカアチャマが何となく生まれてくる子供は女の子だと思うって言うから、男の名前は考えとらんかったけど、女だったら千穂ってするってはじめから考えてた」 なんて思い出したようなはなしも聞くことができた。当時はエコーとかで今みたいに簡単に性別がわかった時代ではないだろうに、何ともおかしな夫婦。そんな、生誕秘話を聞くことができたのも旅の思い出となった。 なにより今となっては屋号にいただいているのだから、無礼ないよう、きちんとあちこち参拝しなければ…そんな願いも叶った昨日だった。

そして今日は宮崎の父の兄弟含めた親族との再会や墓参り…懐かしい身内も一同、歓待してくださり、なにより、父が、生き残る姉や弟と会って直に会話している姿をみて、ホッとした。目的は果たせた…という安堵… そして、もうひとつ私が個人的に気になっていたこと…、昨年亡くなった、いとこの奥さん… 私の母を昔から慕っていて、母が亡くなった後も、遠方から、丁寧な文字で葉書一杯の励ましの便りを何度となく頂いていた。なのにその方が母と同じ、癌を罹患したにかかわらず、「千穂ちゃんは開業して忙しいから、自分のこと相談して迷惑かけてはわるい」と、長い闘病生活だったに関わらず、自分の容態を最期、ぎりぎりになるまで私には知らせないで遠慮していたのだ… 亡くなる直前まで、知らなかったとはいえ、何の力にもなれなかったことが申し訳なくて、せめて墓前に手を合わせたい…そんな目的もあった。

美保子さん…遺影はニコニコした在りし日の姿。脇には新聞の切り抜きと原稿用紙が添えられている… 手を合わせるより前に、私はその切り抜きと原稿用紙に先に手が伸びていた。  父の実家は茶園を営んでいた。その農業に携わり、決まった休みもとれないなかで、書くことが好きな美保子さんは農閑期を利用して川柳をはじめ、書くことで自己表現をしていたようだ…道理で…私に文字一杯の手紙を送ってくれた気持ちも頷ける…「ひとつの言葉が頭に浮かぶと他のことを忘れ指を折っている」…これは宮崎日日新聞で文芸賞を2年前に受賞したときの彼女の言葉。添えられていた新聞の切り抜きにあった言葉。闘病しながらいつも最後と思っての投稿… そんな彼女のひたむきな地味な活動にすら、受賞を知った、周囲の一部の人からは「農家の嫁なのに、何をやってる」 父の郷里が、時代錯誤も甚だしい、田舎者!と一蹴したくなるような土壌であることに残念な嫌悪感も覚えざるを得なかった。自らの闘病と周囲と… そんな環境下で生まれた川柳や詩… そこにあった原稿用紙の詩は、遺影に手を合わせるより前に、涙があふれてしまうものだった。

美保子さんの遺族に当たる、いとこさんと、はとこさんの了承を得て、この旅の最後にのっけます。 原稿用紙二枚。二枚目の字が弱っていることが、活字にすると伝わらないけど…

 

    僕は雑草         金丸 美保子  

  僕は雑草  名前はあるけれど  仲間と一緒に  雑草と呼ばれる

  僕は嫌われる 人家の庭の隅に顔をだそうものなら うんざりした顔で 家主にため息をつかれる 

  どうして嫌われるのか 僕にはわからない

  僕のすみかは 神様が決めた あるとき 季節が巡り来て 僕は目覚め 殻から抜け出して光を浴びた

  神様がくれた場所

  わずかな水と太陽の光   足りないものはない   僕はそこで生きる

  時々、引き抜かれて  命を落とす仲間もいるけれど  そこから逃げることはない

  花屋さんの花のように  誰も愛でてはくれないけれど  僕はひたすら僕を択く

  生命が枯れ果て 次の季節に繋がるまで  神の差配の風を待つ

 

 

 

▲ ページのトップに戻る

Close

HOME